和歌浦一週・高津子山ハイキング~
2012.10.25 木曜日 10:00~15:00 晴れ 備忘録
わいず倶楽部 第6回 和歌山交流会ウォーク 和歌浦一週・高津子山ハイキング(雨天決行、但し当日午前7時に警報が出ている場合は中止)
集合場所・時間 午前10時 和歌浦中 玉津島神社
コース・距離 約7Km 玉津島神社→不老橋→紀州東照宮→御手洗池→(昼食)
高津子山→蓬莱岩→新和歌浦漁港(解散)
定員 30名
コースは小生の地元、歩き慣れた道。日頃時間に余裕のある時の散策コースである。本日は和歌山市語り部クラブの服部・楠見両ベテラン語り部さんがご案内してくれるというから願ってもないこと。
じっくり語りを聞かせて貰おうと楽しみにしていたのである。雲は多いが天候は良し、歩くには充分過ぎる気象条件と言えよう。その上、倶楽部行事であるから顔見知りの面々ばかりである。
10:10 先ずは、集合場所となった玉津島神社で、語り部さんの第一声を聞く。玉津島神社は、古くから万葉歌人の信仰を集めた神社という。
祭神には、明光浦御霊(あかのうらのみたま)と雅日女尊(わかひるめのみこと)・息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)・衣通姫尊(そとおりひめのみこと)の女神三体が祀られている。本殿前にて軽くお詣りして山頂へと急ぐ。


10;23 奠供山(てんぐやま)標高33m登り口(写真下)
神社拝殿の背後に位置し、神殿右手奥に通じる曲がり小径を抜け、緑泥片岩で築いた石段を登る。10分足らずで山頂に到着。此処より眺める和歌浦湾の景色は絶景!
和歌川河口・和歌浦湾、左手遠く山並みが続く外れに、沖の島が霞んで見える・・・・・
山頂にて、仁井田好古(にいだ こうこ)撰文による望海楼遺址碑(写真下左)の前で、持参した資料写真を取りだし熱く説明をする語り部さん。
文豪夏目漱石著「行人」に登場する、日本初、観光エレベータが設置されたのは明治43年のこと。山裾から山頂に向かう観光客を昇降し眺望を楽しんだ事であろう。その痕跡となるコンクリート基礎は今も残る。
それより遙か以前、平安朝の聖武・称徳・桓武三帝も屡々、風光明媚なこの地を愛でられ滞在したという。特に、聖武天皇は、「弱浜(わかのはま)」を「明光の浦(あかのはま)」と改名し守戸を置き景観保存を命じたという。
10:35 山頂を後にして拝殿左奥、(写真下右)大正10年和歌山市高松より移転保存された天然記念物根上り松(名称・鶴松・枯れ木の根元を保存したもの)を見る。


なお、参考まで
根上松の生木は(写真下)、和歌山大学付属小学校々庭に現存する。同校と県立博物館境界の生垣の隙間越しに見ることが出来る。但し、挙動不審者と間違われないよう用心!ご用心!
10:45 鏡山 標高19.9m 岩肌が薄墨色の香木「伽羅」の木目に似ている岩肌(伽羅岩・きゃらいわ)が随所に露出する小山。頂上から見る和歌川河口・名草山・和歌浦湾の眺望は素晴らしきかなです。麓には縁結び・安産の守護神「塩竃神社を擁する。祠の傍らに万葉歌人山部赤人の歌碑「若の浦に 潮満ち来れば潟を無み 葦辺をさして 鶴鳴き渡る」が立っている。
今年6月のこと、神社のシンボル黒松の巨木樹齢300年「和合の松」が突然倒れる。原因はシロアリ被害に依るという。今まで親しんだ巨木が消えてしまったことで、間の抜けた感じのする神社全面である。(写真下右)


11:10 不老橋 和歌の浦と言えば第一声「不老橋」と答えるであろうシンボル的存在。 嘉永4年(1851)に完成したアーチ型石橋。徳川家や東照宮関係者が片男波の松原にあった東照宮御旅所に向かうために通行した橋という。
橋台のアーチ部分を手掛けたのは肥後熊本の石工集団による。勾欄部分、雲を文様化したレリーフは紀州湯浅の石工 石屋忠兵衛の製作と推定されている。江戸時代のアーチ型石橋は、九州地方以外では大変珍しく、特に勾欄部分の彫刻が優れているという。
余談ですが、昭和20年代後半迄?石の大鳥居が畠のなかに(御旅所)存在していた事を記憶する。畑は宅地化され、何時の時か東照宮 門前駐車場入り口に移設された教えられる。この鳥居は今も健在である。


11:30~12:10 紀州東照宮 祭神 東照大神 家康公・南竜大神 頼宣公
元和7年(1621)南海道の総鎮護として、紀州藩徳川 頼宣公によって創建された。
関西の日光と称される。石橋を渡り煩悩を表す108段の急な階段を登り詰めると朱塗りの楼門が迎えてくれます。
後ろを振り返ると、小さく見える町並みの向こうに和歌浦湾の輝きが目を射ることでしょう。社殿は桃山時代の遺風を受けた江戸初期の代表的な建造物(重要文化財)です。


12:10~13:00 紀州東照宮・天満宮の門前に広がる御手洗池、古くは市町川と連なり潮の干満あり、戦後暫く迄、この池でウナギ等を養殖していた様だ。池中の小島に住居を構え、池畔に近付くと怒り追いかけ回す御人の居たのを記憶する。
昼食休憩の約1時間をのんびりと過ごす参加者・・・・・・


13:05 天満神社 菅原道真を祀る。正面に見える積石段は紀州青石(緑泥片岩)で構成されている。
菅原道真が太宰府左遷の際、和歌浦で歌を詠じたことに因んで社殿を築いたという。また道真が和歌浦へ寄ったとき、地元漁師が網で作った円座に休憩したことにより、網引き天神とも称される。
本殿他、慶長9年(1604)紀州藩主 浅野幸長公によって再興に着手、慶長11年(1606)に完成現在に至る(本殿等は国指定重要文化財)。
徳川家が入国し、東照宮が建立されると、天満宮は和歌浦の地主神・学問の神として崇められるようになる。


13:30 境内にてピラカンサ・野ボタンが大きく茂る(写真下左)。高津子山(章魚頭姿山・たこずしやま)標高136m 登り口(写真下右)。


13:40 高津子山の小径で語り部の大役を担うH氏は、この山で数多く見掛ける「カクレミノ」の葉と遠眼鏡に見立てた竹筒を持ち、熱く創作民話を語る一幕です(写真下左)。
(写真下右)創作民話に感涙・・・・・・チョットオバーな表現かな??ともかく心和ませ元気百倍、山頂に向かう参加者一行です・・・・・


14:05 風に揺らぐ「セイタカアワダチソウ」・「ススキ」の斜面を抜けると、目前に高津子山展望台だ!展望台からは360度、和歌山市が大きく広がる。北面に見える和歌山市内(写真下右)


和歌山市内・東南部のパノラマ。
和歌山市内・南西部のパノラマ
14:30 山頂より下り旧ロープウエイ下駅跡に立つ(写真下左)。ここから更に下り和歌の浦温泉 萬波の駐車場を経て、細い階段道を海辺迄下ると蓬莱岩(写真下右)が目前に迫る。
14:40 蓬莱岩は、幾多の暴風雨・波浪に曝されて段々と痩せ細る姿は痛ましくもあるが、新和歌浦のシンボルとして今も親しまれている事には間違いありません。


14:50 本日のゴール地点、新和歌浦漁港に到着(写真下左)。此処で解散式の後、自由解散となる。私達友人と共に出発地点の玉津島神社に駐車した車まで戻ることになる(写真下右)市町川畔
途中、県公館に隣接するコーヒーハウスにて休憩し、お喋りに花を咲かせて帰途につく。


10:00~15:00 解散地から駐車場までを含む約8~9Kmの道程、薄雲に覆われた日中であったが、暑くも無しのウォーク日和は嬉しいこと。
最近の我が輩、雨男の汚名を綺麗サッパリ返上した事は、大いに悦ぶべき事と言えよう。
今日一日、ご案内頂いた語り部さん・スタフ一同さま有り難うございました。名勝指定された和歌の浦を再認識するウォーキングでした。
次回は何処に!・・・・・開催を楽しみに待っています。本当に有り難うございました。
わいず倶楽部 第6回 和歌山交流会ウォーク 和歌浦一週・高津子山ハイキング(雨天決行、但し当日午前7時に警報が出ている場合は中止)
集合場所・時間 午前10時 和歌浦中 玉津島神社
コース・距離 約7Km 玉津島神社→不老橋→紀州東照宮→御手洗池→(昼食)
高津子山→蓬莱岩→新和歌浦漁港(解散)
定員 30名
コースは小生の地元、歩き慣れた道。日頃時間に余裕のある時の散策コースである。本日は和歌山市語り部クラブの服部・楠見両ベテラン語り部さんがご案内してくれるというから願ってもないこと。
じっくり語りを聞かせて貰おうと楽しみにしていたのである。雲は多いが天候は良し、歩くには充分過ぎる気象条件と言えよう。その上、倶楽部行事であるから顔見知りの面々ばかりである。
10:10 先ずは、集合場所となった玉津島神社で、語り部さんの第一声を聞く。玉津島神社は、古くから万葉歌人の信仰を集めた神社という。
祭神には、明光浦御霊(あかのうらのみたま)と雅日女尊(わかひるめのみこと)・息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)・衣通姫尊(そとおりひめのみこと)の女神三体が祀られている。本殿前にて軽くお詣りして山頂へと急ぐ。
10;23 奠供山(てんぐやま)標高33m登り口(写真下)
神社拝殿の背後に位置し、神殿右手奥に通じる曲がり小径を抜け、緑泥片岩で築いた石段を登る。10分足らずで山頂に到着。此処より眺める和歌浦湾の景色は絶景!
和歌川河口・和歌浦湾、左手遠く山並みが続く外れに、沖の島が霞んで見える・・・・・
山頂にて、仁井田好古(にいだ こうこ)撰文による望海楼遺址碑(写真下左)の前で、持参した資料写真を取りだし熱く説明をする語り部さん。
文豪夏目漱石著「行人」に登場する、日本初、観光エレベータが設置されたのは明治43年のこと。山裾から山頂に向かう観光客を昇降し眺望を楽しんだ事であろう。その痕跡となるコンクリート基礎は今も残る。
それより遙か以前、平安朝の聖武・称徳・桓武三帝も屡々、風光明媚なこの地を愛でられ滞在したという。特に、聖武天皇は、「弱浜(わかのはま)」を「明光の浦(あかのはま)」と改名し守戸を置き景観保存を命じたという。
10:35 山頂を後にして拝殿左奥、(写真下右)大正10年和歌山市高松より移転保存された天然記念物根上り松(名称・鶴松・枯れ木の根元を保存したもの)を見る。
なお、参考まで
根上松の生木は(写真下)、和歌山大学付属小学校々庭に現存する。同校と県立博物館境界の生垣の隙間越しに見ることが出来る。但し、挙動不審者と間違われないよう用心!ご用心!
10:45 鏡山 標高19.9m 岩肌が薄墨色の香木「伽羅」の木目に似ている岩肌(伽羅岩・きゃらいわ)が随所に露出する小山。頂上から見る和歌川河口・名草山・和歌浦湾の眺望は素晴らしきかなです。麓には縁結び・安産の守護神「塩竃神社を擁する。祠の傍らに万葉歌人山部赤人の歌碑「若の浦に 潮満ち来れば潟を無み 葦辺をさして 鶴鳴き渡る」が立っている。
今年6月のこと、神社のシンボル黒松の巨木樹齢300年「和合の松」が突然倒れる。原因はシロアリ被害に依るという。今まで親しんだ巨木が消えてしまったことで、間の抜けた感じのする神社全面である。(写真下右)
11:10 不老橋 和歌の浦と言えば第一声「不老橋」と答えるであろうシンボル的存在。 嘉永4年(1851)に完成したアーチ型石橋。徳川家や東照宮関係者が片男波の松原にあった東照宮御旅所に向かうために通行した橋という。
橋台のアーチ部分を手掛けたのは肥後熊本の石工集団による。勾欄部分、雲を文様化したレリーフは紀州湯浅の石工 石屋忠兵衛の製作と推定されている。江戸時代のアーチ型石橋は、九州地方以外では大変珍しく、特に勾欄部分の彫刻が優れているという。
余談ですが、昭和20年代後半迄?石の大鳥居が畠のなかに(御旅所)存在していた事を記憶する。畑は宅地化され、何時の時か東照宮 門前駐車場入り口に移設された教えられる。この鳥居は今も健在である。
11:30~12:10 紀州東照宮 祭神 東照大神 家康公・南竜大神 頼宣公
元和7年(1621)南海道の総鎮護として、紀州藩徳川 頼宣公によって創建された。
関西の日光と称される。石橋を渡り煩悩を表す108段の急な階段を登り詰めると朱塗りの楼門が迎えてくれます。
後ろを振り返ると、小さく見える町並みの向こうに和歌浦湾の輝きが目を射ることでしょう。社殿は桃山時代の遺風を受けた江戸初期の代表的な建造物(重要文化財)です。
12:10~13:00 紀州東照宮・天満宮の門前に広がる御手洗池、古くは市町川と連なり潮の干満あり、戦後暫く迄、この池でウナギ等を養殖していた様だ。池中の小島に住居を構え、池畔に近付くと怒り追いかけ回す御人の居たのを記憶する。
昼食休憩の約1時間をのんびりと過ごす参加者・・・・・・
13:05 天満神社 菅原道真を祀る。正面に見える積石段は紀州青石(緑泥片岩)で構成されている。
菅原道真が太宰府左遷の際、和歌浦で歌を詠じたことに因んで社殿を築いたという。また道真が和歌浦へ寄ったとき、地元漁師が網で作った円座に休憩したことにより、網引き天神とも称される。
本殿他、慶長9年(1604)紀州藩主 浅野幸長公によって再興に着手、慶長11年(1606)に完成現在に至る(本殿等は国指定重要文化財)。
徳川家が入国し、東照宮が建立されると、天満宮は和歌浦の地主神・学問の神として崇められるようになる。
13:30 境内にてピラカンサ・野ボタンが大きく茂る(写真下左)。高津子山(章魚頭姿山・たこずしやま)標高136m 登り口(写真下右)。
13:40 高津子山の小径で語り部の大役を担うH氏は、この山で数多く見掛ける「カクレミノ」の葉と遠眼鏡に見立てた竹筒を持ち、熱く創作民話を語る一幕です(写真下左)。
(写真下右)創作民話に感涙・・・・・・チョットオバーな表現かな??ともかく心和ませ元気百倍、山頂に向かう参加者一行です・・・・・
14:05 風に揺らぐ「セイタカアワダチソウ」・「ススキ」の斜面を抜けると、目前に高津子山展望台だ!展望台からは360度、和歌山市が大きく広がる。北面に見える和歌山市内(写真下右)
和歌山市内・東南部のパノラマ。
和歌山市内・南西部のパノラマ
14:30 山頂より下り旧ロープウエイ下駅跡に立つ(写真下左)。ここから更に下り和歌の浦温泉 萬波の駐車場を経て、細い階段道を海辺迄下ると蓬莱岩(写真下右)が目前に迫る。
14:40 蓬莱岩は、幾多の暴風雨・波浪に曝されて段々と痩せ細る姿は痛ましくもあるが、新和歌浦のシンボルとして今も親しまれている事には間違いありません。
14:50 本日のゴール地点、新和歌浦漁港に到着(写真下左)。此処で解散式の後、自由解散となる。私達友人と共に出発地点の玉津島神社に駐車した車まで戻ることになる(写真下右)市町川畔
途中、県公館に隣接するコーヒーハウスにて休憩し、お喋りに花を咲かせて帰途につく。
10:00~15:00 解散地から駐車場までを含む約8~9Kmの道程、薄雲に覆われた日中であったが、暑くも無しのウォーク日和は嬉しいこと。
最近の我が輩、雨男の汚名を綺麗サッパリ返上した事は、大いに悦ぶべき事と言えよう。
今日一日、ご案内頂いた語り部さん・スタフ一同さま有り難うございました。名勝指定された和歌の浦を再認識するウォーキングでした。
次回は何処に!・・・・・開催を楽しみに待っています。本当に有り難うございました。
この記事へのコメント
お疲れさんでした。これで今まで付きまとわれていた
「山の神」のたたりもなくなるでしょう。
和歌浦のスペシャリストがいて、足がすくみました。
でも高津子山からのパノラマ写真は見事です。
このブログを見て、和歌浦ファンが増えると
良いと思います。
色々とご協力ありがとうございました。
長いメンテナンス期間でした・・・・・普段、書き込みをズルしているが、書き込みが出来ないとなると何とも寂しいもの、天邪鬼の見本です。
ウォーキング時は、セラ吉節を充分楽しませて頂きました有り難うです。勉強させて頂きました。次回開催を楽しみにしています。計画は何処!