気儘に歩く~1月の記憶 日本遺産 絶景の宝庫和歌の浦を歩く 其の2

 正月3が日の賑わいも納まり静まりの境内。社殿左奥に位置する万葉歌碑を詠む。春四月マンサクの花、真紅の炎で包むかの如く歌碑を覆う。

社殿に一礼して右奥から奠供山への通路。透明な箱で保護された風化著しい石碑が建っている。和歌山市指定文化財(歴史資料)仁井田 好古撰文碑 奠供山碑なり。

仁井田 好古(にいだ こうこ) : 江戸時代の儒学者(1770~1848) 紀州加太生まれ。藩命に依り「紀伊読風土記」編纂に当たり天保10年、全192巻を完成させた。

当碑は、風土記編纂の関連事業として好古の撰により史跡・伝承地の顕彰碑として藩内に建立された内のひとつという。

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登り口に設ける奠供山(案内板)。その由来を読む。10代藩主治宝が山の整備を行い和歌の浦を一望できる頂に拝所を建造されたと絵図が貼付されている。その絵図下の写真は、日本最初の屋外エレベーター(細い櫓)。

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奠供山へ130有余の青石を積んだ階段道。

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奠供山(玉津島山)標高34m 前面に和歌川河口、遠くの山並みには生石山・長峰山脈が見える。治宝公の整備した拝所等の痕跡いまは無し。

漱石が当地を訪れた明治期、山上に茶店一軒、無愛想な女性と猿一匹が店番をしていたと小説「行人」に記されている。

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望海楼遺跡碑 仁井田 好古撰文
私には残念ながら、奠供山碑と共に両者に刻まれし文字は解読すること叶わずです。

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望海楼遺跡碑(案内板)文面の一部を下記に書写す。
望海楼とは、神亀元年(765)この地に行幸された称徳天皇が、和歌浦湾の眺望を楽しむために造営された楼閣。所在は奠供山南麓、現在の県公館付近と推定される。

当碑は、建物が所在した場所を考証するものと和歌浦の景観美を賞賛した史跡顕彰碑という。明治33年、麓より現在地に移設された。

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山頂には、場違いと思われるアンカーボルトを埋め込んだコンクリート基礎4ケ所が存在する(写真下)。ヒョットすれば、前述した文豪・夏目 漱石が体験した朝日新聞連載小説「行人」にも登場する。東洋一・日本初の観光用屋外エレベータ「明光台」の撤去跡と推測するも・・・・その証となる資料等存在せず確定できないという。

なお余談ですが、当エレベーターは、明治43年に造られ、大正5年に集客力の衰えと第一次世界大戦が勃発、鉄材の高騰を期に撤去されたという。

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新和歌浦方向 背後の山は「高津子山(章魚頭姿山)」標高136m。山頂より眺める和歌浦湾・和歌山市街の眺望は素晴らしく春は桜の名所。 

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山頂より眺める「不老橋」嘉永4年築造。並ぶは平成6年世界リゾート博覧会に併せ新設された「あしべ橋」です。

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山上からの絶景・山辺赤人の詠み歌に想いをと景観に満喫。山を下りて神社境内を抜け、今回は鏡山(標高19.9m)はスルーして参道脇の歌碑を見ながら市町川沿いへと向かう。

鳥居の傍で振り返れば、鏡山々裾に見る岩肌(写真下)。本草学者・儒学者「貝原 益軒」(1630~1714)元禄2年(1689)諸州巡りで当地を訪れ片男波の絶景を讃えた。また妹背山・鏡山・奠供山の岩肌は、みな伽羅の木理の如き薄墨色で美しく、名山なりと讃えたという。

伽羅木とは?ジンチョウゲ科の樹木が土に埋もれ、樹脂が浸出し香木となったもの。正倉院の宝物ランジャタイはその最高品。

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ー 休憩 ー 塩釜神社・不老橋・和歌川河口干潟・片男波公園等 其の3へ続く

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