和歌の浦 汐満ち来れば 片男波・・・・妹背山と経石をご紹介

 2007.8.2
 わかの浦は万葉集 山辺 赤人の名歌「わかの浦に 汐満ちくれは かたをなみ芦辺をさして田鶴鳴きわたる」と詠まれた絶勝絶佳の地でありました。

時を隔て生活の利便や地域の発展が声高となり、自然保護・環境保全は忘れ去り、往時を慕ぶには、極僅かに残された和歌川河口の干潟と、その片隅に日本で10番目、和歌山で一番低い妹背山だけとなってしまいました。

 JR和歌山駅より和歌山バスにて新和歌浦行き不老橋にて下車、玉津島神社を通り抜け道一つ隔てた東方に位置する場所にあります。

 1811年から51年の40年間に計18巻刊行された紀伊名所図絵には下の図絵が紹介されています。現在の様子は次の写真です。

 
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 妹背山について和歌山史要から全文引用しました。
「玉津島神社東方入り江の小島で、ほととぎす山、弁天山という。慶安中(1648~)付近海中から雌雄の双石を得て島名を妹背山と改めた。山上には多宝塔(承慶年中藩主徳川頼宣、生母養珠夫人菩提のために建立)海中に観海閣があり、東方和歌川入江を隔てて名草山を望む風景絶佳である。また島に架かる三断石橋は中国杭州西湖の六橋の趣をうつすものである。」

 現在の妹背山は和歌山県の県木である「ウバメガシ」備長炭の原材木で一面覆われています。観海閣は台風で倒壊しコンクリートで再建されています。

 平成16年から17年にかけて、山上の多宝塔地下室に納められている経石調査を実施したその成果を先般県公館にて一般公開されました。

「この経石は家康の側室で、紀州初代藩主の頼宣のお母さんであったお万の方の一大事業。夫、家康の33回忌の供養として全ての人々の安心・平和・幸福を願って石にお経を書き納めたものです。当時の後水尾天皇・皇后・頼宣・日護・仏師・庶民にいたる多くの人々の協力により題目が書写されたとのことです。その数は15万余個になります。」  当日配布資料抜粋

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 雌雄の双石  多宝塔内部安置は雄石(背)、雌石(妹)は風雨に曝され刻字は僅かに残る程度となっています。
    
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  多宝塔断面図  (石室詳細)

経石の一部  大きさは極小さいものから抱える程の大型まで有るそうです。大型はお目に掛かったことはありません。

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 多宝塔から東を眺めると紀伊の三井寺とも称せられる紀三井寺を懐に抱く名草山が見えます。観海閣から眺める名草山の日の出は四季を通じて素晴らしく是非一度和歌の浦を尋ねて下さい。 

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