気儘に歩く~  1月の記憶  日本遺産・名勝和歌の浦を歩く 備忘録 其の1

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 2020年(令和2)明けましておめでとうございます。啓蟄に程遠いが、一足早く冬眠から目覚めブログの画面を懐かしみながらキーを叩く。慣れ親しんだ仕様が変更され、その機能を熟知しないまま休眠し今日に至る。慣れない、知らない事ばかりの悪戦苦闘・戸惑いながらボツボツと頭の体操なりと気持を奮い立たせ再開したものの完結は何時になるやら先が思いやられる。

先年名勝指定・日本遺産に登録された「絶景の宝庫・和歌の浦」について、手元の数少ない資料から得た記述を頂戴して僅かな記憶等と合わせ行き当たりばったり、合切袋に投げ込んで備忘録として記し置く。

ここ目的地・和歌の浦は、自宅より徒歩十数分。気が向けば歩いて見よう!の散策エリアです。出発点は玉津島神社、その周辺を巡り、和歌川河口干潟(妹背山周辺の干潟は私の暇つぶし、春から夏にかけてユニークな魚「トビハゼ」の観察地でもありります)・片男波公園・同所浜辺を折り返し、新和歌浦漁港の手前から町中を抜けて御手洗池・市町川畔をゆっくり歩いて神社に戻ります。

玉津島神社に詣でる前に、先ずは「松尾 芭蕉」句碑 天保4年(1833)建立。(写真下)右側石碑   
 ☆ 行く春に 和歌の浦にて 追いつけたり  はせう

元禄元年(1688)芭蕉、江戸を出立し伊勢路・吉野・高野山・紀三井寺を経て和歌の浦へと巡遊中。紀三井寺では、既に桜が散り、もはや春と出会う事無しと思いしや何と和歌の浦で晩春に会えたよ・・・・

長い道程、春との巡り併せは随所で追いつき、追い越されの旅と想像いたします。なかでも当地の春景色は感慨深きものだったのでしょう?如何程だったか肖りたしです。

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句碑の建つ背面は旅館あしべ屋跡地(写真上)大小二つの句碑の真中は旅館玄関に通じる石段。
昭和中期まで建物は存在して、最後は和大学生寮だったと記憶する。明治34年2月(1901)和歌山の偉人「南方熊楠」のもとに、ロンドン留学時代に親交のあった中国の革命家「孫文」が来和。下宿先に招くは失礼と当旅館で宴席を設けた。「一夕に30円の盛宴なり」と回想を残しているという。(写真下)明治期のあしべ屋旅館(写真はニュース和歌山掲載より)

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玉津島神社  
創建は、歴史時代の初め、中期。同社が文献(読日本書紀)に初めて登場するは、奈良時代・神亀元年(724)聖武天皇玉津島行幸という。

祭神 雅日女尊(わかひるめのみこと):イザナギ・イザナミの御子、天照大神の妹神。
   息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと):神功皇后
   衣通姫尊(そとおりひめのみこと):第19代允恭天皇の后。和歌の道に秀でた絶世の美女。
   明光浦御霊(あかのうらのみたま):聖武天皇の詔により合祀される。

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朱塗りの鳥居の脇に「小野小町袖掛けの塀」表示板が目に付く。「小野小町」は、和歌に秀でた世界三大美女の一人。本当に当地を訪れ和歌を奉納したのかな?。資料を探せども見当たらず。

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社殿の前で一礼し内部に、壁には36歌仙の扁額がずらり~
柿本 人麻呂・紀 貫之・山辺 赤人・平 兼盛等々。藤原 公任(ふじはらのきんとう)が撰した36人の扁額レプリカ・現物は博物館寄託されているという。

当扁額は紀州藩主徳川頼宜公が寄進された。絵は狩野 興甫(かのうこうほ)・詠歌の筆は当時の能書家・公家・門跡等、詠人名は李 梅渓による。

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根上松「亀松」大正13年(1924)枯根を移設。
雑賀郡高松辺りは松林が茂るも、土地は砂地で高低差があり松樹の根は高く露出した。古くより高松の根上り松と称し、特に鶴松・亀松・相曳松は名所・名物とされていたという。

しかし明治中期から次々と枯れて、現存するは和歌山大学付属小中学校の校庭に残る一本である。県立博物館裏山から垣根越しに眺めることが出来ます。

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万葉歌碑 揮毫は犬養孝(1907~1998)万葉学者・文学博士・大阪大学・甲南女子大学名誉教授

山辺 赤人長歌
    やすみしし 我が大君の常宮と 仕えまつれる 雑賀野ゆ
        背向に見ゆる 奥つ島 清き渚に 風吹けば 白波騒ぎ
          潮干れば玉藻刈りつつ 神代より 然と貴き 玉津島山

聖武天皇に随行した「山辺 赤人」が詠む。当時の雑賀野は広く、和歌山市街南部域、西浜・関戸・塩屋・打越・宇須周辺部の総称。その何処かに、天皇のお泊りになる離宮が造営されていたという。しかし、今はその痕跡すら無し。

離宮を眺めた背後には、沖っ島(雲蓋山・奠供山・鏡山・妹背山)が浮かび、風吹けば渚は白波を立て、潮干には海藻を刈る様子が見える・・・・・
玉津島山は奠供山を指す。現在妹背山のみ島の姿を留め水面に浮かんでいる。

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山辺 赤人 反歌2首 
 奥つ島 荒磯の玉藻 潮干満ちて 隠ろひゆかば 思ほえむかも (干潮時)
 若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴鳴き渡る (満潮時)   

万葉集が作られた8世紀・奈良時代の和歌の浦の地形。干満に依り景色は大きく変わったという。
(下図は、南コミセン展示資料による)

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